東大、慶応の学生は要注目。バイサイド(ヘッジファンド)中心のキャリアで成功できなかったケースを紹介

 

1. 皆が成功できるとは限らないヘッジファンドでのキャリア

バイサイド(ヘッジファンド)のキャリアで、大成功を収めたケースを

紹介したが、当然、皆が皆、同じように成功できるわけでは無い。

 

極端な成功報酬型のキャリアであるヘッジファンドにおいては、

当然成功できない人も当然いる。

 

そこで、今回は、ヘッジファンド中心のキャリアで来たが、

結局成功を収められなかった人の事例を取り上げたい。

 

(ちなみに、ヘッジファンドで成功した人のケースはこちら)

blacksonia.hatenablog.com

 2. 結局成功できなかったKさんのキャリアの概要

Kさんは、私の元同僚で、現在50歳ちょいである。

何の仕事をしているかはよくわからないが、何とか生活している模様である。

フェイスブックで見かけたので。)

 

私が把握しているまでの、Kさんのキャリアは以下の通りである。

 

Kさんは東大経済学部を卒業し、

最初に都市銀行(元みずほ銀行)に就職した。

就職したのは、バブル期末期である。

 

当時は、都市銀行にはコース別採用は無く、東大出身といえども

最初の半年から1年はリテール営業店に配属され、つまらなく、

キャリアにならない仕事に従事した。

当時(今でもそうだろうが)、都市銀行の場合は、配属等については、

露骨な学歴差別があったので、Kさんはすぐに本部に戻されることとなった。

 

都市銀行の本部で、Kさんはどんな仕事をしたのかはわからないが、

20代の後半頃には、子会社である運用会社に出向することとなった。

そこで、Kさんは日本株式等のファンド・マネージャー業務に従事する

こととなり、そのまま、キャリアを重ねていった。

 

そして、2006~2007年頃、Kさんは外資ヘッジファンドに転職し、

勝負をしてみることとなったのだ。

ところが、Kさんがその外資系の大手ヘッジファンドに転職して

1年もたたない頃、当時勃発したサブプライムローン問題をきっかけに

その外資系の大手ヘッジファンドは倒産してしまった。

これは2008年のことである。

 

このため、Kさんは何の実績も出せないまま、

2008年(リーマンショックの年)に職を失うことになるのである。

当時は、ほとんどのヘッジファンドがやられ、成功報酬がメインではない

一般的なバイサイド(運用会社)も厳しいリストラに見舞われ、

とても転職先を見つけられる状況ではなかった。

 

また、業績が悪化したのは国内系の運用会社も同様であり、

国内系の運用会社に復帰する途も無かった。

(なお、リーマン・ショック当時、Kさんは40歳であり、

景況感が悪くなかったと仮定しても、年齢的に国内系の金融機関への

転職はもともと容易ではなかったのであるが…)

 

結局、Kさんは1年以上長い就職浪人生活を送ることになるのである。

 

そして、2009年の夏に、Kさんは外資系運用会社の運用関係の

職を見つけることができた。

もっとも、それは、成功報酬型のポートフォリオ・マネージャー職ではなく、

日本株式をメインとする発注関係のポジションであった。

基本給は1000~1200万円程度であり、ボーナスは数百万円レベルの

ポジションである。

 

ところが、皮肉なことに、リーマンショックから1年が経過し、

採用を始めるヘッジファンドも出てきたのか、

せっかく、職にありついたKさんに、ヘッジファンドからお声がかかった。

 

それは、成功報酬型のポートフォリオ・マネージャーのポジションだったのである。

今の外資系のポジションだと、せいぜい千数百万円レベルの年収であるが、

お声をかけてくれたヘッジファンドのポジションだと、うまく行けば、

5000万、いや、1億円以上も可能だ。

 

Kさんは迷ったのだろうが、結局、そのヘッジファンドに転職をすることとしたのだ。

せっかく見つけた、外資系運用会社はわずか半年程で去ることとなってしまった。

 

しかし、残念ながらKさんは、そのヘッジファンドでは

大した運用実績を出せなかった模様であり、結局、何年か後には、

消え去っていたようだ。

これが、2013~2015年位の話だ。

 3. Kさんのキャリアにおける考察

ヘッジファンドの運用職は運用成績が全てである

ヘッジファンドの運用の仕事は、運用成績という結果が全ての、

厳しい世界である。

東大を出ているとか、ハーバードを出ているとかは一切関係ない。

また、過去の成功実績があっても、メッキが剥がれるまでの数年位は

何とか残れるかも知れないが、連敗するとクビである。

(厳しいところだと、1年でクビもあり得る)

 

うまく行けば青天井、年収数億も可能な世界であるが、

失敗するとクビということは留意しなければならない。

 

外資系で勝負をするには早い方がいい~30後半デビューは遅すぎ~

Kさんのキャリアの特徴としては、勝負をかける年が遅すぎることである。

最初の外資ヘッジファンドに転職した時の、Kさんの年齢は、

30代後半であった(40近い)。

これはかなり遅い部類であり、失敗した場合には、取り返しがつかない。

 

30代であれば、国内系運用会社に復帰する可能性もあったが、

40代だとかなり厳しくなる。

 

勝負するのであれば、30歳前半位にしたいところである。

 

Kさんはこのへんの決断が遅いところが、運用でもうまくいかなかった

性格的な要因かも知れないが、それは何とも言えない。

 ③失敗しても成功実績があればいいのだが…

ヘッジファンドポートフォリオマネージャーが、思ったような、

運用実績を出せずクビになるリスクはある。

 

しかし、せめて数年位の成功実績があれば、青天井の成功報酬制度によって、

1億円位を蓄財できている可能性がある。

そうであれば、クビになった場合のリスクを相当程度軽減できる。

 

ところが、Kさんが気の毒だったのは、1度もまとまった成功報酬を

得ることができなかったのである。

 

これは、Kさんにとってつらい話である。

 

4. 最後に

残念ながら、東大⇒国内系運用会社⇒外資ヘッジファンド

と成功を掴むことができる機会は得たが、

Kさんは結果を出すことができなかった。

 

また、リーマンショックというのがタイミング悪く、

Kさんのキャリアに影響を与えてしまった。

 

しかし、英語ができて学歴があって職歴があれば、

野垂れ死にすることは無く、細々と(年収800~1000万円程度)

やっていけるくらいの職は見つかるようだ。

もっとも、都市銀行にいるよりは少ない年収だが。

 

ヘッジファンドポートフォリオ・マネージャーは、

外銀のトレーダーと同様、ハイリスク・ハイリターンである。

それでも、挑戦したいという人は、リスクを踏まえて

最初に国内系運用会社の門を叩けば良いだろう。

外銀のトレーダーと違って、国内系運用会社であれば、

内定をもらえる可能性は高いであろう。